普遍言語としての印刷術
—ジョン・ウィルキンスの「真性の文字」のための活字書体
●言語の固定化へ向けて
ジョナサン・スウィフトの小説『桶物語』には、時代とともに揺れ動いていた英語のスペリングの表記法や、古代の文献の記述を都合よく解釈する者たちへの諷刺が盛り込まれている。『桶物語』の第二章、父の遺言書の記述を検討する場面において、息子たちは遺言書のなかに残された文字を拾い集め、「KNOT」という単語を見つけ出そうとして、古代の写本においては「K」と「C」の綴字の表記が誤用されていた場合があると、いささか強引な解釈を加えるのである。スウィフトの同様の言語観は、『ガリヴァー旅行記』のなかにも表れている。「Britain」のアナグラムである「Tribnia」という王国の住民についてガリヴァーは次のように語る。トリブニアの「単語や音節や文字の隠された意味を探し出す技術を持った専門家たち」(『ガリヴァー旅行記』平井正穂訳、岩波書店、P.265)の手にかかると、室内用便器の隠された意味は枢密院に、ガチョウの群れは元老院に、空っぽの樽は将軍に、膿の出ている腫物は行政当局の意味に、といった具合の解釈がなされている、というのである。
これらの逸話は、18 世紀イギリスにおける英語の表記法の腐敗について批判的であったスウィフトの言語観を反映した記述として捉えることができるだろう。こうした英国内の言語をめぐる衰退した状況への改革を提起するために、スウィフトは自身の主張を、『英語を正し、改め、確かにするための提案(A Proposal for correcting, improving and ascertaing the English Tongue)』(スウィフト、1712 年)として発表している。同論における次のような記述からは、スウィフトが言語を永続的に固定化することを願っていた、ということをうかがい知ることができるだろう。
もしも英語が一度ある水準まで洗練されれば、永遠に、あるいは少なくとも我が国が他国によって侵略、征服されるまでそれを固定化する方法があるでしょう。そしてたとえ征服されたときでも、私たちの最も優れた著作は注意深く保たれ、敬われるようになり、著者たちは不死の可能性をもつことでしょう。(スウィフト、『英語を正し、改め、確かにするための提案』、引用箇所は武田将明訳(1999年)による) 1)
ここでスウィフトの言う、「不死の可能性」を著者に与える条件となるのは、言語を「固定化する方法」であった。では時代を越えて思考を伝達可能な媒体として、固定化、洗練化された英語を確立するために、スウィフトは、いかなる方法をとるべきであると考えていたのであろうか。「提案」のなかでスウィフトが説いているのは、言語の改善という仕事にあたるために適任の人々が時間と場所を決めて集まり、ルールを固定化していく作業を行うような「協会(Society)」の存在の必要性である。
●ラガードのアカデミーと王立教会
興味深いことに、『ガリヴァー旅行記』のバルニバービ渡航記には、ガリヴァーが首都ラガードで見学をした大研究所(グランド・アカデミー)において、自言語の改善に取り組む教授たちの方法が描かれている。彼らの企画とは、第一に、多音節語を単音節語に切りつめ、動詞と分詞をいっさい省いて、話し言葉を短くする、という方法だ。もう一つは、単語を完全に廃止して「物」そのものを直接示して自分の考えを述べる、という方法である。この考案は「あらゆる文明国民の間で理解し合える普遍的な言語としても役立つ」(『ガリヴァー旅行記』、p.258)方法であると書かれている。
また思索的な知識の改善の任にあたる別の教授の研究室では、全学問と技術に関する完全な百科全書を作成するための機械装置が稼働している。20フィート四方の機械の表面には、各面に紙が糊で貼り付けられたサイコロほどの大きさの木片が配列されている。その紙には、「この国の言語のすべての単語が、それもいろんな叙法、時制、語尾変化等を示す単語にいたるまですべて書きつけられ、それらが順序にはお構いなしに列べられて」(同書、p.253)いる。この装置のハンドルを回すと、機械の表面上で単語の配列が変化する。その単語の配列の順序が変化の過程で、意味のある文章の組み合わせが生じると、装置の周りに並んだ36人の若者たちがそのセンテンスを読み上げ、書記役の若者が書き取る。このようにして生成される文章を繋ぎ合わせて、大型フォリオ版の書物の制作の任にあたっている。
また、スウィフトはブロックが四方に並んだ機械の図版を、ガリヴァーが書き写した装置のスケッチである、として本のなかで示している。物語中でガリヴァーは、この装置の発明者に対して「功労者」として故国で喧伝しするために、「この装置の恰好や仕組みを紙に写させてもらいたい」(同書、P.255)と許可を得て、図を作成したのである。この図版 2) のなかに描かれた象形文字的な奇妙な記号、原始的とも身体的ともとれる非常にユニークな文字が描かれている。こうした奇妙な文字が刻印された機械装置の図版を、スウィフトは何故わざわざ指し示したのであろうか?
『ガリヴァー旅行記』の普遍言語や百科全書生成装置を計画するアカデミーの教授たちの描写においてスウィフトが念頭において諷刺していたのは、1662年に国王の勅許を得てロンドンで設立された王立協会(Royal Society)と、1664年に協会内部に設立された英語改良委員会(Committee for inproving the English Language)であることは間違いないだろう。
ラガードの教授たちの言語の短縮や原初的な「物」による伝達方法は、華麗さよりも飾り気のない即物的な文体を求めた王立協会の主張にも重なっている。また、普遍言語については、王立協会の設立に中心的役割を果たした、リポン大聖堂の主席司祭ジョン・ウィルキンスが、『真性の文字と哲学的言語に向けての試論(An Essay towards a Real Chracter and a Philosophical Language)』(1968年)で示した構想との関連性も指摘されている。3)
ラガードの機械装置の図に示された象形文字のような奇妙な架空の文字群。それが諷刺しているのは、おそらくは、ウィルキンスが試論のなかで提案した哲学的言語のために生み出した「文字(Charactor)」なのではないだろうか。それでは、その「文字」には、いかなる型/活字(type)としての形象が与えられていたのであろうか。そして、ウィルキンスの哲学的言語は誰によって「活字」として物質化されたのか。
●表記法の改革と印刷業者たち
カナダの文学研究者ヒュー・ケナーは『ガリヴァー旅行記』に登場した、百科全書的な知識を生成する機械装置についての記述箇所を例に引用しながら、次のように述べている。
後世が、そのことばや情念や観念を代置可能な部品から構成できるようにするために、印刷工は綴りを、辞書編纂者は言語を、百科事典編集者は意見を力ずくで標準化した。そしてまた同様に、印刷機が忙しくなり後代が啓蒙されるべく、観念や文や文字をあれこれと秩序づけることを仕事とする人びとが誕生するに至った。(ヒュー・ケナー、富山英俊訳『ストイックなコメディアンたち』未来社、1998年、p.12)
ここでケナーは、ラガードの研究所の機械装置のように、言語や観念が可動的な部品によって構成されうるために必要な人びとを挙げている。つまり、言語の固定化を担う存在として、百科事典編集者、辞書編纂者と並んで、印刷工や印刷機の果たした役割が重要であることに注意を喚起しているのである。
こうした言語の固定化や表記法と、印刷術全般との関わりについて理解を深める意味で、少し時代を遡って見ておこう。17世紀に王立協会が成立する以前、英語の表記や綴字法の研究にあたった16世紀における先駆者たちの実践についても、印刷術や活字書体という物質的なレベルとの関連性を指摘することができる。印刷術の成果を正書法の実践に応用した事例として、たとえば英語の正書法の先駆者の一人であるジョン・ハートは、1569年に『正書法(An Orthographie)』を、また1570年に『英語を読む方法、またはあらゆる未習者のための適切な始め方(A Methode or comfortable beginning for all unlearned, to read English)』を著している。
それらの著書のなかでハートは、16世紀フランス、リヨンの綴字改革論者で独自の表音式綴字法を採用して『フランス文法論』(1550年)を著したルイ・メグレの影響を受けていた。そのためハートは音声をあらわす独自の正書法の6つのシンボルをデザインし、英語のスペルの表記改革の提案として示している。ハートが使用したそれらのシンボルは、パリの活字父型彫刻師ピエール・オータン Pierre Haultin(1568 年から甥のジェロームがロンドンで活字鋳造業を営んでいた)のパイカ・イタリック活字や、ロンドンの印刷者John Day Iと交流があり、晩年をロンドンで過ごした活字父型彫刻師フランソワ・ギヨ Francois Guyot のグレート・プリマー・イタリック活字に基づいており、ハートはおそらく彼らを雇って作成させたと考えられている。4)このことから、16世紀イギリスの表記法改革においては、その独自のシンボルを「文字」として表象し、物質的に形を与える活字職人たちの存在が重要な役割を果たしていたことがわかるだろう。
ここで、先の17世紀におけるウィルキンスの『真性の文字』が、いかに実際の「活字」としての物質的な形を与えられれたのか、という問いに立ち戻ることにしよう。そうすると、16世紀と同様に、誰かしら印刷技術者の姿が背後に存在しているであろうことが予想することができるだろう。それと同時に、いったい誰がウィルキンスの「文字」をつくったのか、という疑問も浮かび上がるのである。
●哲学的言語のための活字をつくった人物
まず、ウィルキンスの『真性の文字と哲学的言語に向けての試論(An Essay towards a Real Chracter and a Philosophical Language)』(1968 年)の出版物としての既成事実について確認しておこう。
同書は、物の体系・秩序に基づいた人工的言語/哲学的言語を構築することを意図した試論で、序章、分類学的な形式による第2章、文法や音声学に関する第3章、事例と用法とともに真性の文字と哲学的言語を解説した第4章の4部構成からなる600 ページを越える書物だ。1666年におきたロンドンの大火災をかいくぐって生き延びた印刷原稿は、1668年に王立協会の印刷者であったジョン・マルティン、および著名な書籍商サミュエル・ゲリブランドによって印刷・刊行され、16シリングで販売されることになった。
この『真性の文字』の特筆すべき点として度々語られてきたのは、ウィルキンスが独自に構想した普遍的な文字記号であるが、実際にそれを「現実の文字」として活字化した人物について言及されることはこれまで少なかった。しかし、この文字の制作者こそ、イギリスのみならず欧米圏の印刷、タイポグラフィの領域において多大なる貢献を果たした人物として著名なジョセフ・モクソン(Joseph Moxon, 1627-1691)なのである。それでは、ウィルキンスが彼の文字を活字化する任にあたる者として選んだモクソンとは、いかなる人物なのだろうか。
ジョセフ・モクソン は17 世紀のイギリスの水位学者、地図製作者、印刷者として知られている。モクソンが印刷術、タイポグラフィの分野で知られているの最大の理由は、彼が印刷の組版や表記法について記した書物『Mechanick Exercises: or, the Doctrine of Handy-Works. Applied to the Art of Printing』(以下、『Mechanick Exercises』)を著したことによる。『Mechanick Exercises』は1677~80年より部分的に第一巻が刊行され、続く1683~84年には第二巻が出版されているが、これはあらゆる言語に先んじて、英語での印刷術のマニュアルを仔細に記述した非常に先駆的な試みとして後世に大きな影響を及ぼしている。また、1681年にはアイルランド語の聖書のための活字を印刷者Robert Boyleのために制作を担当している。さらに、モクソンは彼の取り扱っていた活字書体の見本帳とも言える『Proves of several Sorts of Letters Cast by Joseph Moxon』を、ウィルキンスの試論が刊行された翌年の1669年に公表している。イギリスの初期の活字鋳造家の歴史研究書『A History of Old Letter Foundry』のなかで、タルボット・ベインズ・リードは、この活字の見本帳を「イギリス国内で知られている限り、活字鋳造業者による最初の完全な活字見本帳」であると評価した。
しかし、実のところ、この見本帳にはウィルキンスの試論のための活字は含まれていない。また、1678年には、ロイヤルソサエティのメンバーに選出されているが、それはウィルキンスの試論が刊行された後のことであるから、試論の刊行の時点で王立教会においてウィルキンスと同僚であったわけではないのである。
これらの事実から、たしかにモクソンが活字書体や印刷の世界で重要な仕事を残した人物であることは十分に明らかである。一方で、その功績の多くは、モクソンがジョン・ウィルキンスの試論のための活字をデザインした「後の」出来事であることにも気がつく。つまり、モクソンがウィルキンスのために「活字」を制作したのは、彼が後世のわれわれが知るような著名な印刷と活字書体の専門家としての業績を残す以前の時期にあたるのである。
仮にモクソンが王立教会でウィルキンスとすでに知り合う機会を持っており、また印刷の専門家として名高かい名声を築き上げていたならば、モクソンのもとにウィルキンスからの依頼が舞い込むことも当然の成り行きとして推測できるだろう。だが、1668年の刊行時には、活字製作者、活字鋳造者としてのモクソンは、いまだそのキャリアの途上にあった。このことを言い換えれば、モクソンにとってウィルキンスの試論の活字を制作したことが、後のキャリアの出発点となった、とも言い得るのである。
●真性の文字から現実の活字へ
それでは、モクソンがウィルキンスのために活字を制作した時代の印刷業の「実体」、および彼のつくった「実際の活字」とはいかなるものであったのか。
まず、印刷者としてモクソンがどのような認知をされていたのかについては、17世紀の印刷業者についての調査結果が残っている。5) ウィルキンスの試論が刊行された1668年の7月24日のリストによると、国王王の印刷業者以外に、Masterとして名前が挙げられているの印刷者は20名いるが、そこにモクソンの名前はない。同年1668年の7月29日の印刷業者数とそこで働く職人の人数が記されたSir Roger L’Estrange の調査によれば、29の印刷者の名前が挙がっているが、そこにもモクソンの名前が入っていることはない。
これらのことから、モクソンが公的に認可された印刷業者として知られていた存在であったとは考えにくいのではないだろうか。また、『Mechanick Exercises』の解説においても、1662~1695年のLicensing Actによって、イギリスの活字鋳造業者は4名に限られており、公的な認可を待っていた状態にあった可能性が考えられるしても、この1668年の時点では、モクソンは活字鋳造業者であった、と考えることは困難である。これらの事実から推測されることを考慮にいれると、やはりウィルキンスの試論の活字を制作したことは、モクソンの活字製作者としてのキャリアにとって、ごく最初の試みであった、と考えられるのである。
とはいえモクソンが印刷についての知識や実践を欠いていたわけではない。彼の父ジェームズ・モクソンは、ピューリタンの独立派に属し、イギリスのピューリタンJohn Bastwick (1593–1654)の書物や、聖書の印刷などに関わっていた人物として知られる。ジョセフ・モクソンは父とともに、20歳の頃からロンドンで印刷所を営んでいたという記録が残る。
しかし、その後モクソンは印刷業から離れ、1650年頃より数学的な知の習得へと向かい、そして地球儀や地図、海図の製作者、水路学者、数学の計器製作者として活動し始め、そして1662年には王の水路学者として認定されている。1654年には『天文学と地理学の授業(Tutor to Astronomy and Geography)』を刊行しているが、その4 年後には第5版を刷るほどの売れ行きであったようだ。1665年には同書の続編にあたるコペルニクスに関する書物を刊行しており、それを王立教会にささげている。1665年は自然科学の様々な知識をあつかう王立教会の学術紀要誌「Philosophical Teansaction」が刊行された年でもある(紀要の印刷者はウィルキンスの試論と同様ジョン・マルティン)。
数学の計器製作者としての職業上、あるいは天文学関係の書物を印刷・刊行している者として、王立教会の科学者や天文学者たちとモクソンの間に、この時期に何らかのつながりがあったことも推測できないわけではない。たしかなことは、モクソンもまた王立教会と同様に自然科学的な知識の普及につとめていたのである。こうした点を踏まえれば、当時の王立教会の科学者たちと、自然科学的な知見や世界観を共にしていた人物として、モクソンがウィルキンスの文字を制作するのに適任の人物であった、と考えることもできるだろう。
1666 年の大火災による被害を機に地球儀や計器類の在庫を失ったモクソンは、ウェストミンスターのラッセルストリートで活字彫刻家/鋳造業者としての活動を始めるにいたる。そして、その最初の実践が、1667 年に制作したウィルキンスの文字であった(ちなみにこのウィルキンスの文字が生み出された年は、冒頭で触れたガリヴァー旅行記の著者ジョナサン・スウィフトの生まれた年でもある)。それでは、モクソンの活字制作に関する実践の内実はいかなるものであったのであろうか。モクソンが活字彫刻を担当した「活字」そのものについて見てみよう。
ウィルキンスの『真性の文字と哲学的言語に向けての試論』のなかに登場する「Real Character」の実際の図版を見ると、その形状は、直線的な横棒のラインをベースに、様々な付属的記号をつけたしたヴァリエーションの展開によって構成されていることがわかる。6)
たとえば、垂直線、斜線、半円、円、山形、フックのような形状などが、上下いずれかにつくことで、そのキャラクターの意味に違いが生まれる。活字彫刻は極めて高い職人的な技術を要するものであるが、こうした単純な形状であったために、モクソンがつくることができたのであろう。この「Real Character」は、ウィルキンスの書物においてのみ専用で使用された。
モクソンが制作した「Real Character」の母型の分量は、どのくらいあったのであろうか。イギリスの活字鋳造業者についての調査をまとめたEdward Rowe Moreの報告するところによれば、「Real Character」の母型は、他のモクソンの活字書体と同様にチャーター・ハウス・ストリートのロバートアンドリュースの活字鋳造所に所蔵されていたことが、1706年のリストからわかる。その記載によれば、「Real Character」の母型はその数160である、とされている。7)
●印刷術の固定化へ向かって
ここまで見てきたように、モクソンがウィルキンスの「Real Character」を制作したことが、彼の活字彫刻や印刷業の領域でのキャリアの出発点であった。その事実は、彼が印刷技術の詳細を、科学的に、実証的に記述した『Mechanick Exercises』というマニュアルを、その後に著すことになった事実に照らし合わせて考えると、いっそう興味深いことに思える。
この『Mechanick Exercises』において、さらに特筆すべきはモクソンが「Real Character」以外に制作したとされている、もうひとつの活字記号のことだ。それは『Mechanick Exercises』のなかで示した「校正記号」の活字である。モクソンは、同書のなかで「校正」の項目に章をさいて解説を加えている。校正者はさまざまな言語に精通しているのみならず、スペリングや語の語源、ネイティブの発音法、また正書法についての知識も求められる、とモクソンは説いている。そして、こうした知見に基づいて加えられる文章に対する訂正をページの余白へと記述するための校正記号として、16種類の活字書体をモクソンは作成し、それを例示しているのである。また、これらの校正記号も、垂直線、斜線と記号の組み合わせから構成されている。8)そこには、モクソンにとって、ウィルキンスの「Real Character」の活字書体制作の経験が生かされていると容易に推測することができるのである。
さらに言えば、このモクソンの例示する校正法は、1608年にライプツィッヒで刊行されたHieronymus Hornschuchによる世界初の正書法に関する書物『Orthotypographia』から派生し、おそらうフランス経由でイギリスに入ってきたもので、それは当時のヨーロッパの基準と化していた。そればかりか、驚くべきことに、今日の英語圏で使われている校正記号とほとんど変わりない記号として使い続けられているのである。こうした校正法を印刷業者に向けたマニュアルとして書かれた書物のなかに組み込んで体系的に紹介したことは、「英語」という言語の固定化に対して、大きな役割を果たしたと言えるだろう。そして、これは冒頭で参照したようなスウィフトの嘆いた「言語の固定化」を成立させるための前提条件でもあるのだ。
モクソンは『Mechanick Exercises』の序文において「タイポグラフィもまた数学的な科学であることに疑いの余地はないと考えられるのである」と述べていた。9) このような目的を達成するために、印刷術の一から十までを各項目に分類して「印刷の技芸の世界」全体を記述する、という作業をモクソンは行った。その作業を通じてモクソンは、言語の固定化の基盤を築くための前提条件となる「印刷術」という技芸の体系自体を「固定化」することに、計り知れない貢献を果たした。このモクソンの『Mechanick Exercises』こそが、著者の言葉を後世に伝え、永続的に言語を「固定化する方法」を初めて記した書物なのである。
●注釈
1) 原文は以下。
And if it were once rened to a certain Standard, perhaps there might be Ways to x it for ever, or at least till we are invaded, and made a Conquest by some other State: And even then, our best Writing might probably be preserved with Care, and grow into Esteem, and the Authers have a chance for Immortality. (Philological Essays from Dryden to Johnson. Tokyo: Nan’un-do, 1967 に所収のものより引用した)
2) スウィフト『ガリヴァー旅行記』p.256 に所収の図版
3) 武田、1999、p.11。同様の指摘は、ヒュー・ケナー『機械という名の詩神』p.147 など。
4) Lucas, 2000.
5) Plomer, 1927, p.199.
6) John Wilkins, An Essay towards a Real Character, and a Philosophical Language (London, 1668) p.387.
7) Mores, 1961, p.47.
8) Moxon, 1962. p.368-369.
9) Moxon, 1962, p.11.
●参考文献
ジョナサン・スウィフト、中野好之/海保真夫訳『スウィフト政治・宗教論集』法政大学出版局、1989
ジョナサン・スウィフト、平井正穂『ガリヴァー旅行記』岩波書店、1980
武田将明「近代国家批判としての言語改革 スウィフト『英語を正し、改め、確かにするための提案』を読む」(「英語文化研究1」、1999 所収)
ヒュー・ケナー、富山英俊訳『ストイックなコメディアンたち』未来社、1998 年
ピーター バーク、原 聖 訳『近世ヨーロッパの言語と社会―印刷の発明からフランス革命まで』岩波書店、2009
R. Lewis “The publication of John Wilkins’s Essay(1668) some contextual considerations” Notes Recods of the Royal Society London . 2002 56, 133-146.
Peter J. Lucas, “Sixteenth-Century English Spelling Reform and the Printers in Continental Perspective: Sir Thomas Smith and John Hart” Library (2000) Volume1, Issue1, pp. 3-21
Henry R.Plomer, A Short History of English Printing(1476-1900) London ,Kegan Paul,Trench Trubner & Co Ltd, 1927
D. F. McKenzie , Making Meaning: Printers of the Mind and Other Essays, Univ of Massachusetts Press, 2002
Edward Rowe Mores, A Dissertation Upon English Typographical Founders and Founderies, Oxford: The Oxford Bibliographical Society, 1961.
Joseph Moxon, Herbert Davis(ed), and Harry Carter(ed) Mechanick Exercises on the Whole Art of Printing, Oxford University Press, 1962(Second Edition)